「走るぞ!せいいっぱいでいいから、走れ!」
「あたしだって、他のみんなが怖いわ」
「試合だと思うことにしたんだ、俺は、これを」
「ちょっとだけ、抱き締めてて。すぐ…終わるから」
「来るな!」
「あたしは奪われるよりは奪う側に回ろうと思っているだけよ」
「味方のふりしてたやつが正体現してもおかしくないころだわ」
「あたし─あたしなんてことを─!」
「おまえたちの、負けだ」
年末にwowowで録っていた映画を観て、久しぶりに読んでみた。
世間はこの作品を「不快」、「少年犯罪を助長する」等の言葉で括りがちだが、
私はそうは思わない。
この作品は“殺し合い”をテーマにしたものでは無いから。
当たり前だと思っていた“日常”が一瞬で壊れたら、どうする?
信じていた友達が、次会った時には敵になっていたら、どうする?
“有り触れた生活”がどんなに大事か、私達は把握出来なくて。
“日常の崩壊”は、私達にとっては余りに辛い事で。
それを再認識させてくれたのが、この作品。
信頼や、裏切りや、
中学三年生なりの不器用さや器用さ、
怖さや、痛み、憎しみや、愛情、
死と生と、勝ち負けと。
それら全てが、彼らの生きている証で。
全てがリアルで。
読んでいて泣きそうになる。
生きる事に必死で、
それでも大切なものは守りたくて。
極限の状態に置かれたからこそ、生まれるドラマもある。
そんな彼らの生き様、そして死に様を
真正面から書くこの作品は、凄いと思う。
人が小説に求めるもの。
それは“自分の状況とは違った世界”だと言う。
日常生活では、何も起こらなくて当たり前。
小説世界では、事件が起こって当たり前。
だから私はこの日常で、考えてみようと思う。
もし、この日常が崩壊したら?
もし、今自分が居るこの場所に居られなくなったら?
そういった想像をする事で、今まで見えていなかった大切なものを
再発見、再確認出来るのではないだろうか。
当たり前に自分の傍にあるモノ。
大切にしていきたいと思いますよね。
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